そこにはいないということ
4日前、実家で飼っていた犬が死んだ。
とても「性格」がよい犬だった。
人懐っこく、初めて会った人にもすぐお腹を見せて周囲を笑顔にしていた。
雑種の小型犬で、初めてみた時から、ほとんど大きくなってなかったと思う。
実家にやってきたのは、僕が小学校5年生くらいだったとおもう。
実家の裏でうろうろしていたのを母が捕まえた。
誰かが飼っている犬はすぐにわかるくらい田舎だったので、野良犬だなというはすぐにわかった。
初めて僕が、その犬をさわろうと近づいたときにも、ひっくり返ってお腹を見せていた。
その愛嬌のある行動から、すぐに飼いたいと思い、母と父にお願いしたのを覚えている。
基本的にはのんびりと構えていて、散歩の前はパタパタと尻尾をふった。
むやみに吠えないし、むやみに走ることはなかった。
ご飯のときはちょっと興奮していたが、がっつくのもどこか優しさがあった。
たまに僕の相談相手(一方的な思い込みだが)になり心を癒してくれた。
つぶらな瞳には曇りはなかった。
撫でていると、気持ちよさそうに目を細めて、それを見ていると穏やかな気持になった。
心を包まれているような感覚になった。
ときどき、むしゃくしゃしているときは、あたってしまったこともあった。
書いていて思ったのだが、お姉さんのようなお母さんのような
そういう気持ちで接していたのかなとおもう。(まぁ、どちらもいるんだが....)
できるだけ世話をしたようには思うけど、自分勝手に世話をしていたような気がする。
散歩ほっぽりだしたこともあったし、ご飯が遅れることもあったし。
散々だったろうなとおもう。どういう気持ちで僕を感じていたのだろう。
幸せだっただろうか.....不幸だったろうか.......
野原をもっとかけまわりたかったろうか、もっと遊んでほしかったろうか.......
今は実家に帰っても、パタパタと尻尾をふってひっくり返るあの姿を見ることはできない。
大事MANブラザーズバンドの歌詞ではないが、そこにいないのがさびしいのではなくて、
そこにいないと思うことが、それを考えることが、そしてその事実が、
今はとても寂しい。
僕の自分勝手につきあってくれてありがとう。